夜光貝とは
熱帯から亜熱帯域のインド太平洋区に分布し、日本近海では屋久島・種子島以南の暖かい海域で生息するリュウテンサザエ科最大の貝。
成体の重さは2㎏を超え、直径15㎝~20㎝ほどに成長するが、夜光貝の成長速度は遅く、稚貝は7㎝になるまでに3年もの月日を要する。
熱帯から亜熱帯域のインド太平洋区に分布し、日本近海では屋久島・種子島以南の暖かい海域で生息するリュウテンサザエ科最大の貝。
成体の重さは2㎏を超え、直径15㎝~20㎝ほどに成長するが、夜光貝の成長速度は遅く、稚貝は7㎝になるまでに3年もの月日を要する。
夜光貝は先史時代(文字を使用する前の時代)からすでに身の軟体部が食用として利用され、蓋は堅固なため「敲打器」として使用されたが、夜光貝で最も利用価値の高いところは貝殻の部分であり
日本列島では奄美以南の海でしか採れない夜光貝の貝殻が日本全土に運ばれ使用された。
史料上の初見は平安時代の書物に儀式の際に器や盃として利用されたと記されている。
また、儀式だけではなく貴族の生活においても夜光貝の盃は利用されており、清少納言の随筆集「枕草子」には、「公卿・殿上人、かはりがはり盃とりては、はてには屋久貝といふ物して飲み立つ」とあり、夜光貝でお酒を飲む光景が記されている。
貝殻は貝匙(かいさじ)や小型のナイフ、殻の茶碗等に加工して利用されました。
しかし、夜光貝は何といっても器物に嵌め込み飾りとする螺鈿において最大限に活かされた。
夜光貝はその美しさゆえ古くから工芸品に使われており、平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)や螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんごげんびわ)など、正倉院の宝物にも螺鈿細工(らでんざいく)として用いられた。
岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂
奥州藤原氏 初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立
平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり
当代の技術を集めたものとして国宝に指定されている。
金色堂の名のとおり、堂は内外共に総金箔貼りで扉、壁、軒から縁や床面に至るまで漆塗りの上に金箔を貼って仕上げられており、巻柱には蒔絵と螺鈿で宝相華門と仏像が表されている。
琉球王朝時代には王府の役所として貝摺奉行(かいずりぶぎょう)がおかれ、中尊寺金色堂には夜光貝の光沢の良い壮年期の貝500個を用いて螺鈿細工としたとの文献も残されており、夜光貝は古くから身は食用に殻は螺鈿細工などの工芸品として利用されとても価値の高いものである。
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